彗星のごとく現れた三宅健という存在
健くんにおちてから、早1週間。
生活のすきま時間で、過去の映像やら雑誌を漁っていますが、今まで気づかなかった健くんの魅力を発見できて、すっごく楽しいっ!!!
こんな表情するんだとか、ダンスのときはこんな身体の動きをするのかとか、こんな表現力するのかとか。なんでもっと早く気がつかなかったのだろうと後悔しつつも…やっぱり、あの日から私は健くんに心を奪われているようです。
と同時に、同じグループに好きな人が2人もいるってどうなのだろうか、という悩みも出てきまして…
だって、剛くんも健くんも、一途なファンが好きそうじゃないですか。というか、本人の発言とか聞いている限り、絶対そうだろっていう(泣)所詮こっちの一方通行の想いだというのは重々承知していますが、ファンとしてはやはりそこは気になるところではある。
健くんにおちたといっても、厄介なのは、今まで通り剛くんへの気持ちは変わっていないということなんですよね。舞台も決まりましたが、よっしゃ、行くぜ!という気持ち満々です。
一体「担当」とは何ぞや、なんていうのも心に浮かんでくるわけで。「担当」とは、応援したい人というのももちろんあるけど、「気づけば目で追っている存在」「その人に対して、どれだけ気持ち・時間・お金をかけているかという観点で見たときにほかのメンバーと違うこと」かなあ、と。あくまで個人的な感覚ですが。
そして、「担当」というのは少なくとも1グループに1人だと思っていた。それは、上記の定義にあてはまる人が剛くん以外現れてこなかったからだと思う。
けど、三宅健という存在が彗星のごとく、私の目の前に突如現れた。
そして、健くんはこの定義にあてはまった。現れたといっても、私がV6のファンになって10年も経っているわけだから、彼の魅力がわかる環境にはいたはずなのに。にもかかわらず、である。おちるときは突然なんだな、と思い知らされた。
いろいろ考えた結果、「担当」というのは人によって定義も違うし、あいまいな言葉なので、おそらく今後は自分が「担当」という言葉を使うことはないかな、と。これからは、
剛くんが好き
健くんが好き
っていう表現が自分なりにしっくりくるのではないか、と。だって、2人に抱く感情は純粋な好きという気持ちが原点だから。それ以上のものでもそれ以下のものでもない。ややこしい定義もいらない。好きという気持ちだけで応援していたい。スタートはそうだったはず。
それに、普段の生活で味わえないような楽しい、幸せといった感情をアイドルによって享受できるわけだから、せっかくならおいしく味わいたい。2人いれば、楽しみも2倍になるかもしれないし、とか考えて、ああなんて自分は都合がいいんだ、と思ったりもしている。
musicmindのジャケ写で剛くんに恋をし、
滝沢歌舞伎で健くんに恋をした。
一途じゃなくて申し訳ないという罪悪感を抱きつつ、それでも剛くんも健くんも応援させてほしい。勝手かもしれないけど、好きになってしまったから。
以上、個人的な思いの吐き出し口でした。
ただひとつ、コンサートのときの問題(うちわはどうする?どうやって目で追う?)が残っているんですけどね。そのときに考えるとして、しばらく保留にしておきます。